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日々の破片

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2008-07-11

_ 僕には数字は風景には見えない

見えないので、見える人の本を読んでみた。

ぼくには数字が風景に見える(D. タメット/古屋 美登里)

例として、割と最初のところで53×131の例が出ているのだが、瓢箪みたいな形の2つの数の間を埋める形があって、それが6943なので答は6943とか書いてある(今、本を裏返したら、何のことはなく帯にも書いてあったが、そのくらいこの説明は不思議に感じるのだけど)。筆算もできるが、それよりこれで求めたほうが簡単とか書いてあるので、なんとも不思議だ。それとは別に素数が色の違いでわかるとか、累乗の計算が好きで弟に問題を出してもらってぽんぽん答えるシーンとかもある。

ヒントは、円周率を記憶するところで見えるような気がする。ボランティアのチャリティで円周率暗唱のギネスへの挑戦をするところがあるのだが、見た瞬間に覚えるというよりは、まじめに延々と記憶していく作業をしているからだ。

その記憶方法が、自分の知っている感覚でいくと音楽を記憶するのに近いように思う。音楽を記憶するときは音符を覚えるのではなく(以前フルトヴェングラーが演奏会へ行くための列車の中でヒンデミットか誰かの交響曲を暗譜するエピソードを読んだことがあるが、ああいう特殊な人は楽譜そのものが頭に入るらしいけど)時間軸上に音響そのものが記録されていく(文章で書くと当たり前のことだな)のだが、そんな感じで、数字の羅列を山あり谷ありの絵巻物のように記憶していくのだ。

ということは、上の例だと6943は未知の数ではないのだろう。あらかじめ多数の数を事前に訪れて因数分解したりして遊んだ結果の数が記憶されているのだと思う。したがって、式を見た瞬間にそこにあるべき数がパターンマッチされて取り出されてくるのではないだろうか。

おはよう、と聞けば、いちいち辞書からおはようの意味を調べて対応する返答例を求めてから、おはようと返すのではなく、すでに持っている語彙からマッチする言葉であるおはようを瞬時に取り出して返すのに、構造は似ているように思えた。ただ、それを数に対してできるところが違うところなのだな。

で、それが言語についてもできるということで、ボランティアで出かけたリトアニアでリトアニア語を覚えるとか(ロシア人居留地域に迷い込んで言葉が通じなくて英語を口にしたら通じたというエピソードとかおもしろい)、難関に挑戦ということでアイスランド語(すごく大変そうだ)を覚えるとか、のところでも、言語を習得するには実例を必要とするようなことを書いているところにも、似たような印象を受けた。

ただ、この本そのものは、そういった事柄はむしろ単なるエピソードで、この人が自分の居場所を見つけるまでにいろいろ考えたり感じたりしたことが主眼になっている。本人が反語的表現を瞬時に理解できないと書いてるくらいだから(というか、文学のたぐいは読まないみたいなので、当然、そのたぐいの言い回しのプールが無いので、逆も真でパターンマッチングできないのが原因なのだろうと思うわけだが)、書き方はきわめて平明、ストレートで共感的だった。

結局この本はなんなのだろう? これまで読んだ本で一番近いものを挙げよと言われたら、人間失格とか地下生活者の手記とかの、一人称の思考小説が思いつく。内容はえらく異なるけれど。物語小説ではないが、エッセでもなく、私小説に近いが、断片ではなく全体が対象となる。ある人物が生活することで触れたいろいろな局面に対しての感覚や心の動きを記述したタイプの小説だ。

しかし、なんとなくそうやって、この本はいったいなんなんだ? と自問しながら読んでいたわけでもあるが、そこで太宰治やドストエフスキーのように高度な技術を駆使できる大家が比較として出てくるところが、自分でも不思議でもある(慧眼な江戸川乱歩は、ドストエフスキーの小説の魅力としてスリルについて指摘していたが、主人公の心の動きに強烈なスリルが表現されているところがあるし、それは太宰治の場合も同じだ)。もちろん、こっちにはそういうものはないはずなのだが。だが、その代わりに、見るもの触れるもの、経験したこと、そのときあったものに対してダレが無いことで補われているのかも知れない。常に世界を新しく感じているような書き方がされていて、おそらく、それは意識しているのではなく、本当に、いつも新しいのだろう。そのため、普通に書かれていたら1言ですむようなことが、微妙なニュアンスを伴って詳細まで詰められていたりするのだが、そこが読書する側に対して先を読みたくなる魅力になっているようだ。不思議な本だった。


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