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日々の破片

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2017-12-17

_ サーミの血

アップリンクで妻とサーミの血。

最初SAME BLODと出てくるのでお前の血もおれの血も同じじゃないかという意味じゃんと思ってよく見たらBLOODではなくBLODで、スウェーデン語なのか。

ばあさんが呼ばれているのに出てこないところから始まる。

髭のおっさんと、子供、ばあさんの3人で車に乗る。ヨイクをおっさんがかけると、ばあさん(は母親とわかる。親子3代だが妻はいないのな)は、それ嫌いといって不快そうだ。ばあさんの妹が死んだので葬式のために故郷へ戻る旅だ。

故郷の教会。ばあさんは徹底的に不快そうだ。終わった後、外国語(スウェーデン語ではないという意味)で話しかけられる。妹さんは毎年あんたの分のトナカイに印をつけていた。なぜ戻ってこなかったんだ? あんたが何言ってるのかわからんよ。

ばあさん、ついに、1人でホテルへ泊まるといって出て行ってしまう。

というところから始まる。

ばあさんは、ホテルのベランダから景色を眺めている。ばあさんは、サーミを見物しに来たスウェーデン人のばあさんグループと談笑する。職業は教師なの。過去へ戻る。

トナカイの耳に切れ目を入れて妹へ与える。妹は学校へ行くのはいやだとぐずる。ボートに乗って二人で旅に出る。延々と歩く。すごい光景だ。頭の弱そうな青年団が何かしている。脇を通ると、臭いとか醜いとか土人とか罵声を浴びせられる。民族衣装は青い。

すぐに暴力を振るう美人教師。サーミ語は厳禁。くだらない詩を暗唱させられる。自分はくずだが、神の恩寵で生かしてもらえているというようなやつ。ふつうにキリスト教徒のその国の主流民族が母言語でやっているのであれば、ふつうに宗教詩だろうが、まあ、悪しき魂胆の元に劣等感を刷り込む教育をしているのだな、と読める。

いやなことばかりがたくさん起きる。

教師の服を盗んで着ると、サーミ人といっても背が低くて少し太り気味(主人公は。妹は違う)なことを除けば、ふつうに白人だな。村の祭りに入り込んでナンパされたような自分からしたような。そこに妹がやって来る。教師にばれたのだった(多分、密告されたのではなかろうか)。

教師になりたいので上の学校へ推薦状を書いてくれと教師に頼む。

それはできません。

なぜ。私の成績は悪くないはずだ。

言っておくけど、サーミの学校の教科は、ふつうの人間の教科より少ないの。あなたたちは、科学的に、知能が低くて都会の文化的な生活が不可能ということが証明されているから、ふつうのスウェーデン人の学校へ進学できるわけがないでしょ。その程度のことはわかるでしょ。卒業したら、トナカイを飼ってスウェーデン人に見物してもらいなさい(というような意味。そういえば、近所の青年団からも動物園の珍獣とか呼ばれていたから、そういうことなのだな)。

まあ、ドイツよりもナチと親和性が高かった国だから、1930年代なら優生学も猖獗を極めていただろうし、そんなものだろうな。

主人公は学校を脱走して都会へ出る。途中、列車の中で服などが入った鞄を盗んで変装する。民族衣装を着ていなければ、ふつうに背の低い白人だし。

身を寄せた青年(村祭りで知り合った)の父親は北方で暮らしていたので、一目でサーミと見抜く。追い出される。

学校へ忍び込み、まんまと転入することに成功する。すげぇいい加減だな。

他の生徒が不思議そうに見る。

体育の時間。動きがおかしいが、すぐに慣れたようだ。が、教師から別枠で教えてもらえと指示される。

着替えに戻ると不良少女に捕まる。ひと悶着あるが、相手は偽名のクリスティーナとスウェーデン人とはちょっと違うという点から、ドイツ人だと誤解して仲良くなった(ように見える)。無知も良いものだな。

しかし、200クローネの学費を請求される。いくらくらいなんだろう?

金を借りられないかどうか青年の家を訪れる。折あしく誕生パーティーの最中で大学の友人たちがいっぱい来ている。サーミだ、ヨークを歌え、と珍獣扱いされる。悪意のかけらもなく。葛藤するのだが結局ヨークを歌ってしまう。珍獣扱いやむなしという無念さは映画になっている。

(青年は、その珍獣扱いがやばいとわかっているように映画を作っている。まあたくさん話し合っているし普通に人間だと了解しているから、それはそうなのだが)

結局、地元へ戻る。母親から怒られる。

家を追い出される。

朝になると、母親と妹が来る。母親の手には唯一の換金性がある財産――亡父のベルトがある。(脱走する前に妹のベルトを強奪していくシーンがあるが、あれは都会での滞在費の足しにするためだったのか)

現在に戻る。教会へ行き、棺の蓋を取り、妹の亡骸にキスをして、ごめんなさいと謝る。

外には大自然。

---

映画としての難点は、いっぱいある。ラスト、妹に許しを乞うタイミングが、自分の学費は母と妹が出してくれたと思い出したからだとしか見えない繋ぎになっているところだ。そりゃないだろう。

あるいは、そこまで捨てきらないとだめだったということか。(それは進学はできない制度なのだからそうなのだろうが)

なんか、後から読んだ映画のチラシには感動がどうしたが差別と闘うのがどうしたとか書いてあるが、そういう作品とは考えにくい。

むしろ、自らデラシネとなった人間がデラシネとならざるを得ない状況を緻密に描いて行って、それでも忘れがたい事実(家族の愛情ってやつだ)に突き当たって最後に根を思い出す(理屈の上ではそれまで本気で封印していたと読める。のだが、回想のように見える過去のパートが生々しいために、忘れていたことを思い出して過去を許容できるようになったというようには見えないために、最後が金のことで妹に謝ったようになってしまったのだと思う)話で、だからといって過去と折り合いがつくわけでもなく、選択が誤っていたとも思えず、どうにもならない無力感でお仕舞いとなる。

後味が悪い映画で、しかもその後味の悪さがおもしろさに昇華できないので、映画としてはいまいちだ(これがたとえばファスビンダーであれば、とんでもなく悪すぎる後味と不愉快極まりない終わり方がおもしろすぎて実に爽快なのだが、そういうようには作れていない)。もっともおもしろがらせる映画ではなく、だから差別はいけませんという啓蒙映画なのだとすれば、これで良いのだろう。が、なんか違和感はありまくる。

いずれにしても、たかが出自でどうすべきを決めるというのがだめだということは現在では明らかなのだから、どうにもならない話ではあった。


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