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日々の破片

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2021-12-12

_ 新国立劇場の蝶々夫人

いつもの栗山演出の蝶々夫人。

指揮のせいか序曲がやたらとカノンとして聴こえる。プッチーニの序曲でカノンというのは他にあったかな? と思い出しても思い当たらない。なんで蝶々夫人はカノンなんだろう? と考えても良くわからん。恋のパラレルラインかなぁ。

幕が開くとシャープレスの声が気に食わない。すごく耳障りで嫌な気分になってくる。ピンカートンはそれほど悪くない。

蝶々夫人の行列が閑散としていてなんか妙な感じだったが、幕間に子供になんか妙だったと言ったら、そりゃコロナ演出じゃん、と指摘されて納得。

と、行列の閑散っぷりは気になったが、やはりシャープレスとピンカートンの二人が耳を澄ますと遠くから女声合唱に続いて蝶々夫人が歌いながら登場するこのシーンは抜群。中村恵理は相当良いと思った。

がシャープレスが気に食わないので帰った後もなんか集中できないのだった。

2幕になると、ところがどっこい、シャープレスが抜群で、3年もたつと人間変わるものだなと感心した。

特に、蝶々夫人があまりに楽天的に物事を見過ぎている(というよりも気丈に振舞っているということなのだろうが、シャープレスの立場からは苛立つのもわからんでもない)のでついに「もし戻らなかったらどうします?」と語気を荒げるのには衝撃を受けた。グールドのレコードの出だしみたいだ。これは凄い。なんかこれまで観たことのあるシャープレスは常に名前の通り柔和な好人物なのに、この2幕のシャープレスはシャープだ。

それはそれとしていかにもお大尽の遊び人風情で好きな山鳥だった。この山鳥は素晴らしい。蝶々夫人も節を曲げれば良かったのに(とはいえ登場時15歳になったばかりということは、数えだからたかだか13歳、3年たっても16歳の武家の娘だからそう柔軟な考え方は無理だろうな)。

指揮は大きな音は大きな音(特に、どこの部分かな、忘れたけど、これまた良い意味でガツンと来た)、間は間(特に、ある晴れた日の始まる直前の間は抜群)、3幕のチェロは美しい。2幕の序曲か3幕のかは忘れたが、こちらもカノンがカノンに聴こえておもしろかった。


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